性別・年齢・正解の“概念”がないVSinger「ユプシロン」

コラム「正解を奪われた音楽家は、世界を行き来し哲学する」

価値観に訴えかけてくるコンテンツが好きだ。

「考えさせられる映画」だとか「示唆に富んだ本」だとか、一般的な考え方に疑問を投げかけ、独自の価値観を示す作品。制作者自身の体験や思想が、ダイレクトに伝わってくる作品。

それによって自身の考えが激変する必要はない。「そういうのもあるのか」という別視点を得られるだけでも、それは刺激的な体験となる。

とはいえ、「考えさせられる」だけでは不十分だ。

ただでさえ膨大なコンテンツが日々生産されている現代において、「考えさせられる」程度では記憶に残りにくい。その場でちょっとだけ考えて、それで終わりである。

よほど差し迫ったテーマや心動かされるトピックでなければ、己の価値観を上書きするほどに思考しようとは思えない。現代人は忙しく、余裕がない。しかし同時に、怠惰でもあるが。

そこで重要になるのが、「エモーショナル」だ。

もうすっかり(音楽的な意味での)原義から離れて濫用されまくっている「エモい」という言葉――ではなく、そのまま「感情的な」という意味で。

価値観のみならず、同時に感情にも訴えかけてくる作品。制作者自身の感情が流れ込んでくるような、あるいは受け手が感情の高ぶりを抑えきれなくなるような表現が内包されたコンテンツ。

エモーショナルな存在にふれると、人は自ずと時間をかけて考えるようになる。奥へ奥へと手を伸ばし、もっともっとその世界に浸ろうとする。

「VSinger」に限って言えば、それほどのレベルで「エモーショナル」に感じられた人は(現時点では)2人しかいない。

そのうちの1人が、ユプシロンさんだ。

歌っている表情すらも幻視させられる表現力

まずは、ユプシロンさんの歌声を聴いてほしい。

――どうだろう。

もちろん感想は人それぞれだと思うが、“刺さる”人は決して少なくないはずだ。

もし自分が10代の頃にこの歌声を聴いていたら、きっとすぐさま狂ったように動画をあさり、しばらくは延々とリピートしていたに違いない。そんな確信がある。

あえて端的に表現するなら、こうだ。

「感情の込め方と表現力がパない」

ユプシロンさんの歌声は、とにかくこれに尽きる。

特に上で挙げた動画は「ピアノバージョン」であり、インストとして聞こえるのはピアノの音色のみ。それゆえ、ユプシロンさんの歌声が際立つカバー動画となっている。

「感情的」だからといって、ただサビで感情を爆発させているわけではない。歌詞のひとつひとつを汲み取りつつ、一節一節を丁寧に紡ぐ歌い方。

絞り出すような震え声が胸を打つ「どうしても消えなかった」以降は、あまりにも真に迫っていて、感情どころか歌っている表情すらも見えてくるようだった。

極めつけは、原曲からして印象的な「間違ってないだろ」の部分。

カバー動画では消え入りそうな「間違ってないよな」に続けて歌う人が多いなか、ユプシロンさんのそれはちょっと違う。

自省しているようにも、諦めたようにも、吹っ切れたようにも聞こえる、明確な意志を持った一言。そこに独自の解釈が垣間見えて、初めて聴いたときはドキリとさせられた。

「正解」を奪われた音楽家は、「世界」を行き来し哲学する

カバー曲でもこれだけぶん殴られたような心地になるのだから、オリジナル曲ともなれば「ぶん殴られる」レベルでは済まされない。

オリジナル曲の場合、歌唱力と表現力を内包したエモーショナルな歌声に加えて、「VSinger・ユプシロン」の世界観がまるっと乗っかってくるからだ。

自身の体験や思想を歌詞に落とし込み、音楽として形にしたものを、ユプシロンさん自らが歌う。

借り物ではない、歌い手自身が選んだ言葉で歌唱する純度100%の感情を宿した音楽には、ひとつの「世界観」が顕現する。そう言っても過言ではない。

実際、ユプシロンさんの「世界」は感情に強く訴えかけてくる音楽であり、自身の深い部分に突き刺さるものだった。

ところで、なんとなしに「世界」というそれっぽい表現を使ってしまったが、あながち無関係ではないのかもしれない。というのも、ユプシロンさんの1stオリジナルソング『ステレオタイプ』では、「世界」が象徴的に歌われているのだ。

例えばポストが赤いとか空は青だとか
誰かが決めた概念を何も疑わずに信じている
今が午前4時だと言われてもそれは誰かが決めた
世界の基準であって そこに正解などない

僕の正解とは
僕の世界とは

(ユプシロン『ステレオタイプ』より)

元来、世界とは不確かなものである。

地球に存在する無数の国々と、自身が暮らす生活圏。両者は同一の世界に属しているようでいて、明らかに別の仕組みで動いている。

時代や場所が異なれば、常識やルールも異なる。価値観が異なれば、衝突することもある。国や地域といった大きな枠組みのみならず、個人単位で見ても、自分の世界に第三者の世界が介入してくることは珍しくない。

さらに付け加えるなら、ユプシロンさんが生まれてまだ間もない頃に投稿された動画にも、「世界」という単語が登場している。

ヘルマン・ヘッセ『デミアン』から引用された、次の有名な一節だ。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」

(ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(新潮文庫)P.136より)
https://www.youtube.com/watch?v=mvn0Gyq4ogUより

「自分」を世界の最小単位とするなら、外へ出るためには一度それを壊さなければならない。そしてその先でもまた、別の世界との衝突が待ち受けている。

VSingerとしての「ユプシロン」という存在もまた、何か既存の世界を破壊し、生まれてきたのだろう。殻を破って飛び立ち、しかしそこで“悪魔”と出会い、3つの概念を奪われた。

「鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」

(同上)

『デミアン』の作中において、アプラクサスは神でも悪魔でもある存在として語られる。

アプラクサスは、“非のうちどころのない普通のもの”を嫌い、善と悪を内包する者を受け入れる(※同著P.163より)。世界は決して善きものだけでは満たされておらず、悪しきものも同時に存在している。

それは個人の精神世界においても同様だ。人間の内心には善と悪が同時に渦巻いており、そのどちらかを無視しては「自分」という世界は成り立たない。

では、そんな“悪魔”によって3つの概念を奪われた「VSinger・ユプシロン」とは、どのような存在なのだろう。

その問いの答えを考えるにあたって、そういえば『デミアン』の作中にも「音楽」が登場していたな、と思い出してページを捲っていたところ、主人公・シンクレールの台詞が目に留まった。

彼はある日、教会から響いてきたオルガンの音色に敬虔さを感じ、幸福な気持ちで耳を傾けるようになる。そのオルガン奏者から素性を問われたシンクレールは、次のように答える。

「いや、ぼくは音楽を聞くのが好きです。もっともあなたのひくようなぜんぜん制限されない音楽だけです。人間が天国と地獄をゆすぶっているのが感ぜられるような音楽です。音楽は、いたって道徳的でないから、ぼくにとって非常に好ましいのだと思うのです。ほかのものはすべて道徳的です。ぼくはそうでないものを求めているのです。ぼくは道徳的なもののためにいつも苦しむばかりでした」

(同著P.149より)

音楽は、いたって道徳的ではない――。

それはつまり、「概念的ではない」とも言い換えられないだろうか。

3つの“概念”をなくしたユプシロンさんが歌うオリジナル曲は、いずれも聞く人の価値観に訴えかける曲である。とは言っても、「こういうルールがあるからそうするべき」「ああいう考え方はけしからんからこう考えよう」といった説教臭い、“道徳的”な論調ではない。

それは、言うなれば「問いかけ」だ。

世界が「当たり前」だと決めつけていることに疑問を呈し、「どういうこと?」と問いかける。ユプシロンさん自身も自問自答するように歌いながら、それを聞く僕らにも考えることを促す。普段はスルーしてきた物事、通り過ぎてきた存在を認識させ、考えるきっかけを与えてくれる。

ゆえに音楽家ユプシロンは、こう語る。

音楽は「哲学」である、と。

僕にとって、音楽は「哲学」だなあとは思いますね。「哲学」ってなんなんだろう、っていう話になっちゃうと思うんですけど(笑)。

……あの、性別は2つじゃないですか。

「性別」は2つあって、そこから派生するアイデンティティはあっても、前提は二方向に分かれているもの。また、「年齢」ってつまり時間のことで、一方向にしか進まないもの。そして「正解」っていうのは、多様性、つまり多方向に存在するもの。

そういうことを考えて、そこから生まれる自分の想いを「音楽にしたいな」って思ったときに、自分が今まで出会ってきた作品が浮かび上がってくる。そのいろいろなところから受けた影響が、自分の作品作りに反映されてるんだと思います。

【インタビュー】実力派Vsingerユプシロンが信じる「音楽の力」とは?活動2年目の意気込みと「創作」に懸ける思い|Vtuber Postより)

善と悪。自分と他人。男と女。過去と未来。

2つの世界のいずれか一方の正しさを叫ぶのではなく、双方を行き来し、自問自答しながら、そこで感じたことを音楽として形にして、問いかける。だが当然、作品の中で答えは示されない。

なぜなら。その音楽家は、“正解”を奪われてしまっているから。

しかしなればこそ、その問いかけは受け入れやすい。「これこそが真実!」と断言できるほどにこの世界は単純ではないし、他人によってわかりやすく示されるシンプルな答えは、だいたいが脆い。

それならば自ら思考し、自信はなくともたどり着いた“正解”のほうが良い。一個人が考え抜いた答えは、不安定で不確定かもしれない。が、強度がある。

揺れ動く2つの世界に翻弄されている人にとって、ユプシロンさんの「“当たり前”を揺さぶる問い」と「エモーショナルな歌声」は、どこか優しい響きでもって聴こえてくるのではないだろうか。

その音楽は、ひとりでは抗いようもない大きな世界とは別の、数多の世界の存在を示唆してくれる。その中にはきっと、自分にとって居心地の良い場所もあるはずだ。

あるいはユプシロンさんの存在自体が、ファンにとっては「居心地の良い世界」となっているのかもしれない。

アートやコンテンツの存在によって「救われる瞬間」っていうのが多分みんなそれぞれにあって、おいしいものを食べたときに救われる人もいれば、友達に話を聞いてもらって救われる人もいると思うんですけど――。それが僕にとっては「音楽」だった、っていうことですかね。

あとは、「音楽にした瞬間にその言葉が力を持つ」って、すごいなーって思ってて。ただそこに文字があるだけじゃ伝わらないことが、音楽にすることで伝わる。そういう部分で、自分は音楽の力を信じています。

(同インタビューより)

正解を知らない歌い手は、それでもずっと、自分が大好きな音楽の力を信じている。信じ続けている。

そんな姿にこそ、人は心を動かされ、価値観を揺さぶられるのではないだろうか。何かを信じることに疲れてしまった人、言葉に鈍感になりつつある人、周囲に合わせて演じることが辛くなってしまった人は、一度その歌声を聞いてみてほしい。

何色にも染まらないその声が、きっと、あなた自身の色を思い出させてくれるはずだから。

関連リンク

「ユプシロン」を紹介しているページ

©︎ユプシロン

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【サムネイル】ユプシロン

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この記事を書いた人

けいろーのアバター けいろー ライター

フリーライター。VTuber/VR関係の記事を書くライターとして、MoguliveやVtuber Postに寄稿。VTuberの紹介記事・インタビュー・ライブレポートなどの執筆と取材を担当。Grater Recordsのアルバム「ワコンピ」では和太鼓の演奏で参加している。