2022年4月に集英社から発売された、『メタバース さよならアトムの時代』。
今なおメディアで話題になり続けているキーワード「メタバース」。その歴史や展望はもちろんのこと、2022年現在のメタバース市場とその特性をわかりやすく整理した解説書です。
書店で目にする数あるメタバース本のなかでも、「教科書」にふさわしい1冊である――。そう評する声も少なくない、『メタバース さよならアトムの時代』。本記事では、その内容と見どころを簡単に紹介します。
『メタバース さよならアトムの時代』はどんな本?
『メタバース さよならアトムの時代』の著者は、加藤直人さん。メタバースプラットフォーム「cluster」を運営する、クラスター株式会社の代表取締役CEOです。言うなれば、「実際にメタバース空間を運営している企業の社長が書いた本」というわけですね。
しかもこのcluster、正式にリリースされたのは2017年なので、バズワードとしての「メタバース」が話題になるよりも随分前のこと。つまり本書は、「長年にわたってこの分野で活動してきたプレイヤーであり、専門家でもある筆者による解説書」と言っても過言ではありません。怪しげな自称・メタバース専門家が書いた本とは、明確に一線を画しています。
ただし一方では、「それなら、自社サービスを持ち上げて宣伝するような内容になってるんじゃない?」と考える人もいるかもしれません。当然と言えば当然の懸念ではありますが、本書の内容は驚くほどに中立。ポジショントークになりがちなメタバース市場を、特定の分野に偏らず俯瞰して整理してくれています。そういう意味でも「教科書」的な1冊と言えるでしょう。
「さよならアトムの時代」が意味するものは?
『メタバース さよならアトムの時代』は、6章構成。その序文である「はじめに」は、以下のような文章で始まります。
メタバースとは何か?
加藤直人 著『メタバース さよならアトムの時代』P.3より
僕はメタバースとは、人類の描いた夢の生活スタイルのことだと考えている。
この部分だけを読むと「どういうこっちゃ?」と首を傾げるかもしれませんが、読み終えてから再検討してみると、これほどしっくりくる一言はありません。
「人類の描いた夢の生活スタイル」とは、いったいどういうことなのか。詳しくは実際に本文を読んでいただきたく思いますが、ここからは本書の内容を簡単に紹介していきます。
- メタバースとは何か
- メタバース市場とそのプレイヤーたち
- 人類史にとってのメタバース
- VRという技術革命
- 加速する新しい経済
- メタバースの未来と日本
『メタバース さよならアトムの時代』の第1章は、「メタバース」という単語の辞書的な解説から始まります。
メタバースの世界がフィクションではどのように描かれてきたかを示しつつ、さらに詳細な言葉の定義として、2020年に示された「メタバースの7つの条件」を参照。既存の資料に当たりながら、いまだに曖昧な表現であるこの言葉の意味を紐解いていきます。
さらにここでは、筆者独自の視点として「身体性」と「自己組織化」の2つを「メタバース」の条件に追加。2022年の現状に即した形で定義のアップデートを試みており、その説明にも説得力を感じられます。また、さまざまな分野の企業がこの領域に力を注ぐ理由のひとつとして、「滞在時間」があることを補足しているのもポイントです。
続く第2章では、今まさにメタバース市場でビジネスを展開している、複数の業界のプレイヤーたちを紹介。槍玉にあがりやすいNFTも含め、2022年現在のメタバース市場にはどのような業界が関わっているのかを、具体的な企業名とサービス名を示しつつ整理していきます。
それも単にサービスの内容を説明するのではなく、それぞれを「体験」「発見」「クリエイター・エコノミー」といった7つのレイヤーに分類。一口に「メタバース」と言っても多彩な特徴を持つサービス群をわかりやすくカテゴライズしつつ、この市場の多様性を解説しています。
メタバースを「業界」や「ジャンル」で見るのではなく、それぞれの「性質」や「構造」に着目して分類している、と言い換えてもいいかもしれません。ともすれば、NFTはどうの、VRはどうのとポジショントークになりがちなメタバース市場を、全体を俯瞰しつつ冷静にまとめてくれている。それがこの章です。
第3章はガラッと毛色が変わり、「人類史」にまで視点を引いて、メタバースの位置づけを検討していきます。
過去に人類の歴史の転換点となったものは何か。現在進行系で起こっている変革は何によってもたらされているのか。そして、そのなかで「メタバース」が私たちの生活を変えるとすれば、何がどのように関わり、今後いかにして社会に変化をもたらしていくのか。
この章に関しては、ぜひとも実際に本書を手に取って読んでみてください。全体を通して「教科書」のような読み心地がある本書においては異質な章であるようにも感じられるかもしれませんが、それゆえに興味深く刺激的。特に「さよならアトムの時代」のタイトルの意味が回収される瞬間は、読んでいてゾクッとさせられました。
第4章で取り上げるのは、メタバースと混同されがちな「VR」について。
「VRヘッドセットをかぶって飛び込むVR空間=メタバース」という説明は、一見するとわかりやすく感じますが、実は本質を捉えたものではないのだそう。「空間」というよりは、冒頭にもあった「生活スタイル」という表現がより適切だと言うのです。筆者の考えとしては、「VRデバイスの利用も必須ではない」とのこと。
とはいえ、現在進行系で話題になっている「メタバース」の概念に、VR技術が深く関わっていることは疑いようがありません。そこで本章では、今まさに注目を集めているメタバースについてより深く考察するために、改めてVRについて解説。その歴史と技術を、駆け足で紐解いていきます。
ビジネス的な視点でメタバースについて知ろうとしている人が興味深く読めそうなのが、この第5章。メタバース市場ではどのような経済活動が行われているのか、そしてどのような経済圏が作られていくのかを説明していきます。
VR市場でお金を動かす体験として「ゲーム・イベント・エロ」の3つを挙げつつ、クラスター社ではどのようなコンテンツを提供しているのかを提示。その試行錯誤の過程を、惜しみなく紹介していきます。個人的に気になっていたclusterのアーカイブ機能についても言及されており、おもしろく読めました。
一方では、NFTやGameFiについて取り上げているのもこの章のポイント。クリエイターとコンテンツ、テクノロジーが、いかにしてメタバースと関わっていくことになるのか。話題のPlay-to-Earnムーブメントの現状と、メタバースとの掛け合わせによる可能性についても言及されており、この分野に注目している人は興味深く読めるはずです。
最終章となる第6章で描かれるのは、筆者によるメタバース時代の未来予測。来るメタバースの時代に何が起こるのか、これまでの歴史も踏まえて検討していきます。
同時に、そのような時代において日本が果たす役割についても示唆。独自の魅力と歴史を持つ日本のカルチャー&コンテンツには、メタバースで発揮できる強みがある――。そんな指摘とともに、最後は、未来を創造する「妄想力」の大切さを示しつつ本文を結んでいます。
どんな人におすすめ?
繰り返し「教科書」という言葉を使ってきたように、現在進行系で話題になっている「メタバース」について知りたい人に対して、まず最初におすすめしたい本。一言でまとめるなら、『メタバース さよならアトムの時代』はそんな本です。
もちろん、他のすべての関連書籍がダメというわけではありませんし、特定の分野に限って言えば、別の本のほうが詳しい場合もあります。たとえば、メタバースのなかでも特に「ソーシャルVR」について知りたい人には『メタバース進化論』を、最近話題の「Web3」と絡めて勉強したい人には『メタバースとWeb3』を、ビジネス分野に特化して動向と展望を探りたい人には『メタバース未来戦略』を、それぞれおすすめできそうです。
ただ、そのように数あるメタバース関連本のなかでも、特にバランスの取れた1冊を勧めるなら、この『メタバース さよならアトムの時代』が最適解になるのではないか――。少なくとも現時点では、そう断言してしまっても良いように思います。網羅性・中立性・明解さの点において、本書よりもしっくりくるメタバース本はありません。
また、教科書的な解説に尺を割いている一方で、第3章のような文章を途中に挟んでいる点も、ある意味では「バランスが取れている」と言えそうです。一見すると本筋とは無関係のように見えて、しかし読み終えてみると、説得力を感じずにはいられない。この章は読み物としてもシンプルにおもしろく、それまでの経緯と現状把握のための明解な説明が淡々と続く本書において、スパイス的な役割を果たしているように感じました。
数々のメタバース本が出版されている中でも、まず最初に読むことをおすすめしたい、教科書的な1冊。それでいて、単なるバズワードで終わってしまったらもったいないとも思わせられる、「メタバース」が描き出す未来の可能性にワクワクさせられる本。Meta社をはじめとする各社のサービス展開と競争が本格化する前に、ぜひとも読んでおきたい1冊です。